31歳・埼玉の公立高校教諭は、米コロンビア教育大学院留学で何を学んだか?先生にこそ「海外留学」勧める、納得の理由
31歳・埼玉の公立高校教諭は、米コロンビア教育大学院留学で何を学んだか? | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。 (toyokeizai.net)
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「努力して成功する物語」が共感を得られない時代になってきている。ビリギャルも今だったらもっと反感を買うか売れないし、スタンフォードの彼女も10年前だったら賞賛されて映画化だったかもしれない。金銭的にも精神的にも日本人は貧しくなり余裕がなくなった。
この記事の先生に罪は無いのですが、これを読んだ普通の人、才能が無い人、努力できない人、努力しても到達できない人からの、「自分は関係ない」「気に入らない」という反感や悪意を私はビンビン空気を感じるんですよ。私ですら手放しで称賛したくない、「もういいや、おなか一杯」という感想を持っている自分に驚いています。社会学を学んでいると世の中の空気に敏感になりまして。
「自分もやればできる」から「(親ガチャに外れた、競争に負けた)自分はどうせ無理」へ。学力や金銭だけでなく、才能や意欲や行動力の格差社会。「やればできる」と言ってくるのは成功したやつ。気に入らない。
こうやって、社会の分断が加速していくのです。誰かがその中間に立って両者を結びつけないと、貴族と平民みたいな戦前や平安時代みたいな社会になりますね。すでになっているというか。
「もともと恵まれた立場の人が努力して成功した物語」は大衆を敵に回す。恐ろしい教訓です。
「成功できないお前はダメなやつ」と責められる空気。
普段、高校生にそういう講演をしていないか。私もとても反省させられます。